美しくなるための努力は常にある程度自分をストイックに管理する必要があります。
それはナチュラルであれアナボリックステロイドであれ変わりません。
他者からの賞賛を浴びるための美しさ、自分だけが望む自分のための美しさ、仕事として必要とされるための美しさ。
色々な人が様々な“美”のゴールを追い求める日々はやはり過酷なものです。
自分に対して自信を失った時、心が折れそうな時、どこを目指したいのかわからなくなった・・・なんてこともあるでしょう。
今日はそんな時に励みになる人物を紹介したいと思います。
特別表舞台には出ていないけれども一生を閃光のように駆け抜けた人物で、その生き方には賛否両論あれど今なお人々を惹きつけてやまないのです。
目次
マッスル北村という人物
マッスル北村こと北村克己の生き様は映画の「フォレスト・ガンプ」のよう。
小さい頃に自分の限界を知るために自転車で倒れるまで漕いだり、憧れだけで競輪選手やボクシング選手になってしまおうとしたり何かと型破りな人物でした。
様々な事に挑戦し挫折を繰り返したマッスル北村ですが、彼のテーマはいつでも「己の限界」。
そんな彼がボディビルに出会ったのは必然とも言えるでしょう。
人柄的には非常におっとりしており、争いとは無縁の“善”を絵に描いたような人でした。
そんな性格もあってかボクシングも諦めたんですよね。
マッスル北村の凄さがわかる常識はずれな逸話
・1年で体重を56kgから96kgまで増量してボディビルの大会に優勝
・増量方法は500gを超えるタンパク質の摂取を消火剤で流し込む
・二、三日タンパク質の摂取をしたら今度は(肝臓を労るために)炭水化物の大量摂取に切り替える(いたわれているのか・・・?)
・急遽大会に出るために120kgマラソンを一日のうちに敢行して14kgもの体重を落とす(脂肪だけが14kg落ちたりはしない)
・トレーニングでジムの器具を壊した回数は数知れず
・胸の筋肉をつけるために“とりあえず”ベンチプレス170kgまで挙げれるようになる
・親に言われて仕方なく医大に受けて一発合格
・亡くなった直接的な原因は過度の減量による“餓死”
ボディメイクに携われるものとしてはにわかに信じがたい話ばかりですが・・・
多少誇張されてる可能性があるにせよ、ほぼ事実なのではないでしょうか。
根拠はありません、ですが「マッスル北村ならやるのではないのか?」というカリスマ性が彼にはあったのです。
またブランクがある状態で医大合格を一発で通すあたりも努力の才が尋常ではないのがわかりますね。
マッスル北村はアナボリックステロイドを使っていたのか?
マッスル北村を語る上で必ず話題に上がるのが彼がナチュラルなのかどうか?
日本人としては規格外の体をしたマッスル北村は度々「アナボリックステロイドを使っていた」と言われます。
実際に過去の出場で(日本ボディビル・フィットネス連盟)ドーピング認定されました。
しかしその裏でドーピングではないと擁護する声もあります。
その根拠はマッスル北村という人間の人徳や医大生であった事に由来します。
マッスル北村の尿から検出されたのはアナボリックステロイドはデカデュラボリン(通称デカ)ですが・・・
デカデュラボリンはアナボリックステロイドの中でも副作用が少なく筋肥大効果も高いけど非常に体に残留しやすいのです。
使用が1年以内であればほぼ間違いなく検査に引っかかるでしょう。
医大出身のマッスル北村がこんな凡ミスを犯すでしょうか?
それにマッスル北村は自分自身の尿を確認しようとした所、ドービング教会には「破棄した」と言われて門前払いされています。
更に言うとそのドーピング教会の委員長と女性ボディビルダーの不倫問題も関わってきており、マッスル北村のドーピング疑惑は非常にきな臭いのです。
またマッスル北村が内蔵肥大しているのがアナボリックステロイドを使っていた決定的な証拠だと言う声が聞こえますが・・・
アナボリックステロイドでは内蔵肥大はしません、内蔵肥大をするのはヒト成長ホルモンなのです。
もちろん、アナボリックステロイドとヒト成長ホルモンを併用していたという可能性もあります。
特にヒト成長ホルモンは検査に引っかかりづらいのでアスリートの世界でも問題視されてるくらいですからね。
どちらにせよ今となってはマッスル北村が白か黒かを証明する手立てはありません。
しかし白であれ黒であれ彼の「ボディビル」にかける情熱は人智を超越し人を惹きつけてやまないのだけは確かなことです。
マッスル北村から学ぶ努力とは?
僕達がマッスル北村の真似をするのは不可能に近いでしょう。
そもそも死へと一直線に向かうその生き方はもはや狂気と言えるので、真似して良いものでもありません。
でも彼から学べることは非常に多いのは確かです。
人は自分1人の力で頑張れるのには限界があるのが普通です。
ホームトレーニングよりもジムに行ったほうが「あの人のようないい体になりたい」とか「あんなスリムでセクシーな体になりたい」と思わせる気持ちがモチベーションを上昇させ、更なる努力へと向かわせるのです。
しかしマッスル北村は当時ボディビルの最先端を走っていました。
周りに並ぶものはいません、そんな中で孤独とともに限界を超え続けるのは凄まじい努力なのです。
そんな彼の孤高の精神性は僕らに“努力”のなんたるかを示してくれてるのではないでしょうか。
マッスル北村に学ぶ美しさとは?
マッスル北村の肉体をみてカッコイイとか美しいと思う人は少数派でしょう。
しかしそんなビジュアル面は些細な事です、マッスル北村の美しさはその精神性にあるのです。
そもそも肉体の美しさというものは万人に認められることが全てではありません。
ガリガリに痩せこけていくのが信条の人、マッスル北村のような驚異的な筋肉を持つのが信条の人。
どちらも決して万人が認める美しさではないでしょう、いやそれどころか嘲笑の的にされ蔑まれることすらあるのです。
でもそれは明らかな間違いなのです、自分のものさしで他人を測ってはいけません。
僕の運営するサイトでは細マッチョやしなやかな筋肉をもった女性を目指して欲しいという想いはあります。
でもだからといってそれら以外の目的の人を否定しないし、整形で綺麗になろうとする人だって否定はしません。
いや、それどころか体にメスを入れられる度胸と向上心には感動すら覚えるでしょう。
マッスル北村から学べる美しさとは「自由」であり、その人独自の美しさをどんな形であれトコトン目指して行ける姿に人は感化され美しさを感じるのです。